●懐かしい遊び(カタ屋)

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●弟のMが懐かしい遊びの記事を送ってくれた。

●7号にて廃刊になった
●「ドラーク」という雑誌に掲載されていたものらしい。

●懐かしい遊び(カタ屋)

(引用)
●その出没地域は小学校の前や神社の境内など、
●子供が集まりそうな場所。

●素焼きのカタに粘土を詰めて取り出し、
●手際よくキラキラの色粉を塗っていく。
●カタ数百円から数千円、粘土○円、色は一色○円と、すべて有料。
●数十分一回、大小様々な思い思いの作品十数点の
●コンクールが開かれる。

●それをおじさんが採点してくれて、手作りの点数カードをくれる。
●それで新しい粘土や色、カタと交換するというシステムだった。
●みんなが欲しかったのは特大の何千円もする大きなカタ。
●そのためにみんな必死で点数を集めた。

●しかし点数が集まる頃には、おじさんは来なくなってしまい、
●小さなギャンブラーたちの手には
●役に立たない点数カードだけが残された…。ガーン

●どれだけの得点が貰えるかも、みんなカタ屋のおじさん次第。
●でも初めての子にはサービスしてくれるなど、
●優しいおじさんも居たという。

●カタ屋は昭和30年~40年代の都市部でよく見られた露天商法で、
●地方によっては゛カタ抜き゛などと呼ばれていた。
●型は素焼きの粘土製だが、後期になると樹脂製のものもあった。

●(引用終わり)

●小学生の頃、オジサンも参加しました。
●当時は子供も沢山いたから、こういった商売?も
●成り立っていたのでしょうね。

●当時の子供達は素朴でしたね。

●今思うと、小学校の周りには、得体の知れないオジサンが
●しょっちゅう、タムロして子供を相手に商売してましたね。

●今なら、警告か、排除されるでしょう。
●なんとも「のどか」な時代でありました。キャー



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    この記事へのコメント
    いやぁ、懐かしいね。

    「ねんど屋」って言ってなかったかな?

    ヒヨコ売ってた おじさんもいたね。

    わらび餅、紙芝居、風鈴など情緒たっぷりの
    昭和三十年代は 遠くなってしまいましたね。
    Posted by はんじぃ at 2011年07月15日 06:01
    ●はんじぃへ
    ●ヒヨコは一匹1円とか5円とかでね。
    ●わらび餅は、今でも二俣に回ってくるよ。
    ●「懐かしの夏菓子」
    Posted by オジサン at 2011年07月15日 07:07
    米はざしの ポン菓子屋は二俣に来るかな?

    まさか リヤカーで デカイ氷を 運んで 一貫目などと言う人はいないよな。

    あの頃、電機冷蔵庫なんかは無くて 氷で冷やす冷蔵庫だったもんな。

    オジサンの実家は電機屋だったから 電機冷蔵庫あったのかな?
    Posted by はんじぃ at 2011年07月15日 20:50
    ●はんじぃへ
    ●「ポン菓子屋」懐かしいね。
    ●ドカン!
    ●米、持参して、やってもらうんだよね。
    ●電器屋というと、
    ●新製品ばかり使っていると思われますが、
    ●現実は、お客さんの中古を使っておりました。
    ●「紺屋の白袴」みたいな~。
    Posted by オジサン at 2011年07月16日 08:47
     
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      コメント(4)