「さいとうラーメン店」前史

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●「さいとうラーメン店」前史
●「二俣のもうやってないお店」シリーズも、どういう訳か好評なのだが、「今もやっているお店」も、という声があるので、第1弾として、引き続き、オジサンの知りうる「さいとうラーメン」を書いてみたい。

●「さいとうラーメン」は繁盛店である。二俣という田舎にありながら、休日ともなれば、行列の出来るお店である。●しかし、現在の状況に至るまでには、幾度の変遷があった。

●創業者である先代は、最初は屋台でラーメンを引き売りしていたという。●残念ながら、オジサンは、その時代を知らない。

●今のクローバー通りの1本西側の道路を、かつては「西町銀座」通りと呼び、車の往来こそ少ないものの、色々な商店が軒を連ねていた。●現在、「銀座ホール」という、パチンコ店があるが、その名前は、当時の通りの名前に由来する。

●国道との突き当たりにはアーチ状のネオンサインのタワーが立っていて、夏になると色々な虫が、その光を求めて集まった。その虫たちは、オジサン達、子供にとって「オモチャ」になった。

●通りの「内山理容店」と、今は無き、「水野時計店」の間に、前「さいとうラーメン店」があった。
●今、そこは駐車場になっているが、こんなに狭い所にお店があったのか、というくらい狭い。
●二人掛けの小さなテーブルが3つあるだけのお店。●敷地の半分以上は住居と裏庭で占められていた。

●経営が成り立っていたのは、先代の出前の力であろう。店売りのみでは限界があったと思われる。

●いつだったか、オジサンは、先代に「オヤジさん、今の味を出すにゃ~、苦労しただらね?」と尋ねたところ、返って来た言葉は、「H君、昔しゃ~食べるもんが無いもんで、どんな味でも売れただよ。」との答え。●いささか拍子抜けした事がある。
●ただ、その後は研究し、今の味の原点を創り上げていったという。

●現在の場所に移転して久しい。●現在の二代目は、伝統の味に磨きをかけ、テレビやラジオ、情報誌といったマスコミに登場、時の「ラーメンブーム」に乗じて、お店を、さらに向上させている。

●「昔の味の方が…」という声も聞こえてくるというが、「今のお客さまに、今、受け入れらているならば、それはそれで、良いではないか」、とオジサンは思う。

●先年、先代が亡くなった。
●葬儀には多くの人が参集し、故人にお別れをした。オジサンは近年、あんなに泣く人の多かった葬儀を知らない。
●先代が懸命に自転車で出前をしていた姿が思い出され、オジサンも涙した。
●寡黙、朴訥、素朴な印象の先代であった。

●葬儀後、しばらくして会った二代目が呟いた。
「オヤジの葬儀には、皆んな来て泣いてくれたけど、自分の時も泣いてくれるかな?」

●「それは、アンタのこれまでの人生の歩み方と、これからの人生の歩み方次第じゃないの?」 
オジサンは、先輩である二代目に、偉そうに答えた。
自分自身に言い聞かせるように。icon20icon20icon20



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    この記事へのコメント
    確かに、今もとの場所を見ると狭いですね。
    寡黙と云うか無愛想なくらい黙々と調理してた。昨今のグルメ・ブームで客の舌は肥えているのだろーから、人気店を維持するのは大変だと思う。評判がよくなるのには何年もかかるけど、悪評が出ればあっというまに広がるからね。味が判り易いラーメンだけに頑張って欲しいなぁ。黒チャリに乗った先代の出前姿が懐かしいです。銀座や八幡屋も行ったよ。
    Posted by はるかノスタルジー at 2007年05月10日 00:37
    ●先代は確かに、晩年は好々爺になりましたが、若い頃の写真には、「はるノス」さんのおっしゃるようなオヤジさんが映っていました。●ラーメンブームも鎮静気味、これからさらに淘汰が進むでしょうね。
    Posted by at 2007年05月10日 06:54
     
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      コメント(2)