2007年05月24日13:18
●追悼「こだま」
●「こだま」のオバアサが亡くなった。83歳の生涯だった。
●東北から出てきた。
●女一人の気ままな人生と言いつつも、苦労をしてきたに違いない。
●まかない仕事や屋台を経て、「あぶらげ」で有名な「ヤマチョウ」さんの隣に小さな店を構えた。
●その店はオジサンのオヤジなども利用していたのだから、歴史は長い。
●オジサンは、最初、入店するのを躊躇していたが、「ヤマチョウ」さんと親しくなり、連れていってもらった。
●以来、ブランクはあったが、30年近くのお付き合いとなる。
●それまで、「こだま」のお客さんは、国鉄や郵便局や電電公社の年配の人が多かったが、次第に、オジサン達、20代の若者が占拠?していくことになる。
●「こだま」の店名の由来は、特急「こだま」にかけて、国鉄のお客さんから命名してもらったという。
●当時、カラオケもあったが、カセットや8トラで曲だけ流れ、歌詞カードを見ながら、歌うというスタイルであった。
●今、思い出すと笑えてしまう。
●印象的なシーンを一つ。
●その日、オジサンが一人呑んでいると、中年のお客が、サッと店に入って来て、「冷、一杯!」を注文した。
●客は、出されたコップ酒を、おもむろに、グビッグビッ、と呑み干すと、カウンターに500円玉をパチッと置き、「ツリはいらん。」と言いながら、サッと店を出て行った。その間、数秒。
●オジサンは唖然としながら、その後ろ姿を見送った。
●当時から、オジサンは、ダラダラと呑むスタイルであったから、そのオヤジがとても粋でカッコ良く、見えた。
●一度、やってみたいなと思うが、すぐ舞い戻ってきて、続きをやるだろうけどね。
●店というのは、普通、立て直す度に、大きくなったり、設備が充実してくるものだが、「こだま」は、ドンドン小さくなっていった。
●しまいにはトイレも無くなってしまい、お客は、「そこら辺」ですることとなった。
●それでも、お客が減らなかったのは、「たまさ」のことを、若かったオジサン達は自分のオバアサやオフクロのように思っていたからかもしれない。
●いずれにせよ、料金も含めて「安気に呑める店」だったのだろう。
●お店に来た、お客同士で3組のカップルも生まれ、呑み仲間で結婚式にも出た。
●披露宴が、のん兵衛達の宴会場になってしまい、乱獄ない状態に。 新婦側は唖然。
●その後、立ち退きに合い、写真の場所に店を移した。
●バブルの時を迎え、景気の良い時もあったようだが、それも、つかの間。
●若かったオジサン達も昔のように、お金が自由にならなくなり、次第に昔の結束は無くなっていった。
●最後の頃は、体調不良と闘いながらも店を開けていたが、80過ぎの体には、きつかったと思う。
●いつもオバアサは強気で、口の悪い馴染み客が「くそバンバ~、早く死ね!この店、俺がやるで!」などと言われても
●「なにょ~こいてるだ、バカヤロ~!死んでたまるか~!」なんて、やりあっていた。
●そんな、やりとりを笑いながら呑んでいるのが好きだった。
●冬の寒い日、オジサンが店に入ると、背中を丸めながら、一人ポツンとお客を待つオバアサの後姿を思い出す。
●佐藤のぶ、享年83歳。東北に生まれ、二俣に死す。
●近親者少ないため、かつての仲間が終結して、オバアサを天国へ送り出す。
●オバアサ、そっちでまた「こだま」やっててくれ、いつになるか判らんけど、また、「こだま」の暖簾をくぐらせてもらうよ。
●長い間、お疲れさまでした。そして、ありがとう。
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●追悼「こだま」
●「こだま」のオバアサが亡くなった。83歳の生涯だった。
●東北から出てきた。
●女一人の気ままな人生と言いつつも、苦労をしてきたに違いない。
●まかない仕事や屋台を経て、「あぶらげ」で有名な「ヤマチョウ」さんの隣に小さな店を構えた。
●その店はオジサンのオヤジなども利用していたのだから、歴史は長い。
●オジサンは、最初、入店するのを躊躇していたが、「ヤマチョウ」さんと親しくなり、連れていってもらった。
●以来、ブランクはあったが、30年近くのお付き合いとなる。
●それまで、「こだま」のお客さんは、国鉄や郵便局や電電公社の年配の人が多かったが、次第に、オジサン達、20代の若者が占拠?していくことになる。
●「こだま」の店名の由来は、特急「こだま」にかけて、国鉄のお客さんから命名してもらったという。
●当時、カラオケもあったが、カセットや8トラで曲だけ流れ、歌詞カードを見ながら、歌うというスタイルであった。
●今、思い出すと笑えてしまう。
●印象的なシーンを一つ。
●その日、オジサンが一人呑んでいると、中年のお客が、サッと店に入って来て、「冷、一杯!」を注文した。
●客は、出されたコップ酒を、おもむろに、グビッグビッ、と呑み干すと、カウンターに500円玉をパチッと置き、「ツリはいらん。」と言いながら、サッと店を出て行った。その間、数秒。
●オジサンは唖然としながら、その後ろ姿を見送った。
●当時から、オジサンは、ダラダラと呑むスタイルであったから、そのオヤジがとても粋でカッコ良く、見えた。
●一度、やってみたいなと思うが、すぐ舞い戻ってきて、続きをやるだろうけどね。
●店というのは、普通、立て直す度に、大きくなったり、設備が充実してくるものだが、「こだま」は、ドンドン小さくなっていった。
●しまいにはトイレも無くなってしまい、お客は、「そこら辺」ですることとなった。
●それでも、お客が減らなかったのは、「たまさ」のことを、若かったオジサン達は自分のオバアサやオフクロのように思っていたからかもしれない。
●いずれにせよ、料金も含めて「安気に呑める店」だったのだろう。
●お店に来た、お客同士で3組のカップルも生まれ、呑み仲間で結婚式にも出た。
●披露宴が、のん兵衛達の宴会場になってしまい、乱獄ない状態に。 新婦側は唖然。
●その後、立ち退きに合い、写真の場所に店を移した。
●バブルの時を迎え、景気の良い時もあったようだが、それも、つかの間。
●若かったオジサン達も昔のように、お金が自由にならなくなり、次第に昔の結束は無くなっていった。
●最後の頃は、体調不良と闘いながらも店を開けていたが、80過ぎの体には、きつかったと思う。
●いつもオバアサは強気で、口の悪い馴染み客が「くそバンバ~、早く死ね!この店、俺がやるで!」などと言われても
●「なにょ~こいてるだ、バカヤロ~!死んでたまるか~!」なんて、やりあっていた。
●そんな、やりとりを笑いながら呑んでいるのが好きだった。
●冬の寒い日、オジサンが店に入ると、背中を丸めながら、一人ポツンとお客を待つオバアサの後姿を思い出す。
●佐藤のぶ、享年83歳。東北に生まれ、二俣に死す。
●近親者少ないため、かつての仲間が終結して、オバアサを天国へ送り出す。
●オバアサ、そっちでまた「こだま」やっててくれ、いつになるか判らんけど、また、「こだま」の暖簾をくぐらせてもらうよ。
●長い間、お疲れさまでした。そして、ありがとう。
この記事へのコメント
場末の飲み屋で味わった喜怒哀楽と己の時間軸との絡みが、今になってやっとかけがいのない宝物だったと気付く瞬間。思ったより人生の時間はずっと短いと他人の人生を見て思う落胆。しがらみと上手くつきあう術を得てから腹にいちもつ繕う魂胆。半世紀を生きて身に付いた汚れも徳も、ばあさの細腕繁盛記の足元に及ばない・・・青春の光と影は振り向くたびにセピアの彼方、いい人生の輪郭を縁取るステキなお話をありがとう。今日は韻を踏んで渋めのセットで決めましたコノミ。
Posted by はるかノスタルジー at 2007年05月24日 14:05
●文章、上手いから、泣けてくるしまドック。
●はるさん、ありがとう!
●はるさん、ありがとう!
Posted by オジサン at 2007年05月24日 14:37
おたまさんは、みんなに愛されて幸せだったでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。
Posted by 豊岡の姥桜 at 2007年05月25日 07:30
二俣の町にはたくさんのドラマがあるんですね。
心からご冥福をお祈りいたします。
心からご冥福をお祈りいたします。
Posted by ikuko at 2007年05月25日 11:25
●豊岡の姥桜さん、ikukoさんへ●昨日、涙雨の中、無事に葬儀も終了致しました。●ひっそりと生きてきた人生でしたが、「いい人生」だったんでは、ないかと思います。●ありがとうございました。
Posted by オジサン at 2007年05月26日 10:13
泣けちゃったよ。まだこんなオバアサいたんだね。天国で「馬鹿野郎、お前ら早く来るじゃないぞー」って言ってるよ。ご冥福をお祈りいたします。
Posted by hirotha at 2007年05月26日 20:58
「こだま」のおばさん、「オジサン」が、
来てくれるだけでも、
嬉しかったと思いますね、
週 4回 「こだま」の前、「ヲォーキング」で、
通りましたが、
いつも、「オジサン」の自転車が、
ありましたから、
合掌
来てくれるだけでも、
嬉しかったと思いますね、
週 4回 「こだま」の前、「ヲォーキング」で、
通りましたが、
いつも、「オジサン」の自転車が、
ありましたから、
合掌
Posted by 同級生 at 2007年05月26日 23:20
●同級生さん●貴方とも呑みましたね。●呑み屋さんは、いろんな思い出が詰まった、宝石箱や~。
Posted by オジサン at 2007年05月27日 00:12